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大阪地方裁判所 昭和31年(ワ)382号 判決 1963年11月30日

原告 田尻三郎 外二名

被告 大阪府

主文

一、被告は、

原告田尻三郎に対し一九六万八六六〇円、

同谷山万治郎に対し三〇万円、

同谷山清に対し八〇万円の各支払いをせよ。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

三、この判決は、原告田尻三郎において二〇万円の、同谷山萬治郎において三万円の、同谷山清において八万円の各担保を供するときは、当該原告部分に限り仮りに執行することができる。

事実

原告ら代理人は、主文第一、二項と同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

「一、原告田尻三郎は、自己所有の貨物自動車(大一-五四三九号)を運転して、昭和二七年八月四日午前七時頃大阪府道亀岡街道を亀岡方向に進み、高槻市大字原の芥川上流に架設の通称「不二ケ原橋」先にさしかかつたところ、右貨物自動車は突如路面から約一〇メートル下の芥川の川床に転落し、右貨物自動車は大破し、これを運転していた原告田尻三郎は、後記四の重傷を受け、同乗の訴外谷山正一は即死するという事故が発生した。

二、本件事故の現場は、右「不二ケ原橋」の北端を北方へ約四メートル延長した地点から直角に東方へ約一四メートル延長した地点にあたる右亀岡街道の右側で芥川に沿う個所において、同地点から東へ約八メートルの間にわたり谷側の路面が巾約一メートルをなして崩壊していた個所である。本件事故現場の約三〇メートル東では、道路が山に沿つて北折し、また約一五メートル西では不二ケ原橋の北詰めとなり、道路と約六〇度の角度をなして架かつている長さ二五メートルの右不二ケ原橋を渡ると、橋の南詰めから約六〇度の角度をなして道路が続き、これは約一〇メートルで南に折れ曲つているため、本件事故現場付近の見透しは効かない状況である。右道路は、本件事故現場付近で通常約三・八メートルの巾員があるが、大型自動車が高槻市方面から亀岡市方向に本件事故現場の道路を通過しようとする場合、約一五メートル手前で不二ケ原橋から右路上への六〇度のカーブを切つて進行しなければならず、これは相当困難で、極度の技術を必要とした個所であつた。それが昭和二七年六月下旬の大雨により、前記のとおり、右道路が本件事故現場において崩壊し、道巾が狭くなつたままになつていたため、大型自動車で同個所を通行することは一層困難な状況となつていた。

三、右亀岡街道は、府道として、被告の管理する営造物であるが、本件事故は、以下に述べるとおりの被告の右道路管理の瑕疵に基くものである。

(一)  本件事故現場の前記道路の損壊は、昭和二七年六月下旬の大雨によつて生じたものであるが、同個所は前記のとおり道路が正常のときでも車輛運行の困難なところであるから、この道路の管理にあたる被告としては、速やかに右損壊個所の修復を完成しなければならないはずであるのに、長さわずか八メートルの右損壊個所の修理作業を雨だれ式に行い、損壊後一カ月以上経過した本件事故発生当時にも右修復工事を完成せず、路面を損壊発生当時のままにしておいたこと。

(二)  本件事故発生当時、被告は、本件事故現場の損壊個所の修復工事に当つていたが、右工事を実施するうえにおいて、

1  前記のとおり道路が損壊し、通行が一段と困難かつ危険となつていた個所の修復工事を行うのであるから、工事標識等を設置して、一般通行人や通行車に右危険個所の存在を相当の距離からでも知ることができるように措置しなければならないのに、被告は、そのための何らの措置をも講じていなかつたこと。

2  本件事故発生当時、貨物自動車約一台分相当量の道路修復工事材料の間知石を前記不二ケ原橋の北詰め曲り角から前記道路の損壊個所に至るまでの間の山際に雑然と放置し、荷台の巾二・四〇メートル、全長六・八〇メートルの原告田尻三郎所有の貨物自動車が、右道路の損壊個所を避けて同所道路山際寄りに通行することも著るしく困難にしていたこと。

3  右道路損壊個所の芥川沿岸下部の石積み工事を行うにつき、その工事に要する盛土を右道路が損壊して生じた崩落斜面から採取して、路面を更に崩壊しやすい状態に導いたこと、以上の諸点において、被告は、道路管理者として、通常執るべき十分な措置を怠つていたこと。

(三)  しかして、原告田尻三郎は、貨物自動車の運転手として、通常必要とされる細心の注意を払つて本件事故現場にさしかかり、道路が前記二、三の(一)(二)の12のような状況にあつたため、やむなく道路の右側(谷側寄り)を進行して、同所を通過しようとしたところ、同所道路の地盤が弱化していたため、自動車の右側後輪が乗りかかつていた右側路肩は突如崩壊し、ために貨物自動車は、後部よりずり落ち、路面から約二メートル下の石垣上の台地に当り、さらに一回転して河床に転落するに至つたもので、これが、被告の前記道路管理の瑕疵によるものであることは明らかである。

四、本件事故によつて原告らの蒙つた損害およびその額は、次のとおりである。

(一)  原告田尻三郎関係

1  同原告が本件事故によつて受けた傷害は、脊髄損傷の重傷で、現在に至るも運動障害(両下肢自動運動不能等)、知覚障害、膀胱直腸障害(尿意、便意なく、常に便秘がちで浣腸またはかき出しにより排便を行う)は治癒しておらず、将来においても右の運動障害、知覚障害は、回復の望みなく、自活不能の不具廃疾となつたことが確定的である。しかして、

(1)  同原告は、本件事故発生の日から昭和三三年一〇月までの七三ケ月間大阪市内の行岡外科病院あるいは大阪市立医科大学病院に入院し、その間毎月付添看護婦費用九〇〇〇円を含む二万円を入院治療費として支出し、その合計額一四六万円の損害を受けた。

(2)  また、同原告は、本件事故発生当時貨物自動車による木材運搬下請業を営み、毎月三万円の純収入を得ていたから、当時二三才であつた原告は、少くとも五五才までの三二年間右の割合による収入合計一〇八〇万円を得ることができたはずであるところを、前記の受傷により、これを失つた。右将来の収入額をホフマン式計算方法により中間利息を除して現在額に換算すると六七七万一六〇円となる。

2  本件事故により同原告所有の貨物自動車が大破したため、その修理費用一八万八六六〇円に担当する損害を受けた。

3  同原告は、前記1の本件事故による負傷のため回復不可能な精神的打撃を受けたがこれに対する慰藉料としては、一〇〇万円が相当である。

(二)  原告谷山万次郎関係

同原告は、本件事故により即死した訴外谷山正一の実父であるが、同訴外人は当時三五才の働き盛りで一家八名の生計の支柱であつたものであるから、同訴外人を失つたことにより、同原告は、甚大な精神打撃を受けた。これに対する慰藉料としては、三〇万円が相当である。

(三)  原告谷山清関係

同原告は、右訴外谷山正一の実弟であるが、同訴外人の死亡により、その遺児である長女の訴外谷山貴代子(当時八才)および次女の訴外谷山朱実(当時六才)の二人を養育する責任を生じ、訴外谷山貴代子については昭和三七年三月末高等学校を卒業させるまでの九年八月間、同谷山朱実については同三六年三月末中学校を卒業させるまでの八年八月間、同訴外人らの生活費および教育費として一人あたり毎月平均五〇〇〇円を下らない額を負担し、その合計一一〇万円の支出を余儀なくされ、同額の損害を受けた。

五、よつて、被告に対し、原告田尻三郎は、前記財産的損害(四の(一)の1および2)の合計八四一万八八二〇円のうち一七六万八六六〇円および同精神的損害のうち二〇万円の合計一九六万八六六〇円の、原告谷山万次郎は、前記精神的損害三〇万円の、原告谷山清は、前記財産的損害のうち八〇万円のそれぞれ支払いを求めるため本訴に及んだ。」

と述べ、被告の過失相殺の主張に対し、

「原告田尻三郎が本件事故発生の前、毎日のように本件被害の貨物自動車を運転して、本件事故現場を往復していたことおよび右事故現場の道路がかねてから損壊し、その修復工事が実施中であることを知つていたこと、本件事故当時本件被害の貨物自動車に定員過剰の乗員があつたこと、右貨物自動車の轍距が被告主張のとおりであつたこと、同原告が右事故発生当時時速一五キロメートルの速度で右貨物自動車を運転していたこと、以上の各事実はいずれも認めるが、前記のとおり道路事情から道路の谷側寄りの通行を余儀なくされ、同所の路面の崩落にあつて本件事故の発生をみたものであるから、被告の主張する事実を根拠として原告田尻三郎および訴外谷山正一に過失があつたものということはでない。」

と付陳した。立証<省略>

被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め答弁として、

「一、原告主張の事実中、原告田尻三郎の負傷の程度を除くその余の一の事実、二、の事実のうち、本件事故現場の道路がその右側、芥川に沿う個所においてかねてから崩壊し、谷側の路面が長さ約八メートルの間にわたつて損壊していたことおよび同所付近の道路の常時有効巾員が三・八メートルであること、三、の事実うち、亀岡街道が府道として被告の管理する営造物であること、および本件事故発生当時、右道路損壊個所の修復工事がなされていたこと、四、の事実のうち(一)の原告田尻三郎が本件事故前材木の運搬に従事していたこと、(二)の原告谷山万次郎が訴外谷山正一の父親であること、(三)の原告谷山清が同訴外人の弟であること、以上の各事実は、いずれも認めるが、その余の事実は、すべて争う。

二、原告主張の本件道路は、極めて地盤の固い道路であるが、昭和二七年七月一一日の大雨によつて、不二ケ原橋北端の路面中心点から直線で北方へ約四・三〇メートル進み、同地点からさらに直角に東へ約一五メートル進んだ地点において、同地点から東へ長さ八メートル、巾最大個所で約一メートルの路面部分の損壊を生じたため、右損壊個所の最狭部分の道路巾は、事故直後の測量によると二・八〇メートルであつた。被告は、右損壊個所の修復工事を訴外落合寅吉に請負わせていたので、同訴外人をして右損壊個所に沿つた路面に棒杭四本を間知石の間に差し込み、高さ約一メートルのところで右棒杭間を連絡して繩張りを施しただけではなく、右繩張りの下には高さ約三五ないし四〇センチメートルの間知石を約一メートル間隔をおいて併列し、右路面の損壊個所をとりかこませて危険標識としていたのである。そして、右損壊個所は、その前後の位置から極めて見透しのよく効く場所にあるから、道路を通行の人車にとつて右危険標識は容易に発見しうるところであり、本件事故当時においても右の見透しを妨げるような事情はなかつたから、原告田尻三郎においても、右危険標識を容易に発見できたはずであるばかりでなく、右事故現場は、同原告の出生以来の居住の地であつて、付近の地形、地質等は同原告の知悉していたところであり、本件事故前二三日余りも毎日一ないし二回本件事故現場を貨物自動車で往復していた同原告は、右路面の損壊状況も十分知つていたところである。そして自動車を運転する者は、その通行する道路が自動車の運行に適しているかどうかにつき常に十分注意していなければならず、もしその道路の状況が自動車の運行にとつて良好な状態に保持されていないときは、みずからの責任と注意をもつて万全の手段と自己の有する最善の技術を尽して通行をなすべきは当然の義務である。

ところで本件事故発生当時、事故現場の道路の有効巾員は前記のとおり最も狭い部分でも二・八〇メートルあり、前記危険標識として置いた間知石の存在を考えても少くとも約二・四〇メートルあつたうえに、道路の左側の山寄りには、巾三〇センチメートルの水吐用側溝がなだらかな傾斜をもつて道路を接続し、この部分も道路として通行可能の状況にあつたのに対し、原告田尻三郎所有の本件貨物自動車の轍距は、前輪において一・五三一メートル、後輪においては内側で一・四二五メートル外側で一・九三三メートルであつたのであるから、同原告が自動車運転手として払うべき相当な注意をもつて道路の左側を通行しさえすれば、右道路の損壊個所から転落するようなことはなかつたのである。

しかるに、同原告は、右貨物自動車の乗車定員(運転手を含めて三名)を超過し、訴外谷山正一を含む八名を荷台に乗り込ませ、常時通行してその地形に慣れていることに慢心し不二ケ原橋のたもとから、前記路面の損壊個所のある地点にいたる曲折した道路の操縦困難な個所を時速約一五キロメートルの高速度をもつて漫然運転したため、貨物自動車を右路面の損壊個所の一部に突入させ、本件事故を発生させたものであるから、右事故の原因は、同原告の過失に基くものといわなければならない。

なお、以上述べたように原告田尻三郎は、右路面の損壊の事情を知悉していたものであるから、同原告に対する関係においては、右路面の損壊告知の標識は必要ではなく、したがつて仮に被告が右の標識を設置していなかつたとしても、このことを理由に被告が本件事故の責任を負うべきものではない。

他方、訴外谷山正一は、乗用車ではない貨物自動車に危険を冒してその荷台に乗り込み、原告田尻三郎の重大な過失によつて発生した右貨物自動車の転落に遭遇して死亡したものであるから、右結果は、みずから同原告と共同の責任において招いたものというべく、被告が前記標識を設置したかどうかの点とは直接の相当因果関係がない。したがつて、同訴外人の死亡が被告の道路管理の瑕疵に基くことを前提とする原告谷山万次郎、同谷山清の請求は、その理由がない。なお、原告谷山清が主張する損害と本件事故との間には何らの因果関係がない。

三、かりに、被告の右主張が認められないとしても、原告田尻三郎および訴外谷山正一には本件事故の発生につき重大な過失があること前記のとおりであるから、被告は、過失相殺により原告らに対しては厘毛の損害をも賠償すべき義務を負担しない。」

と述べた。立証<省略>

理由

一、原告田尻三郎が昭和二七年八月四日午前七時頃、同人所有の貨物自動車(大一-五四三九号)の荷台に訴外谷山正一ほか数名を乗車させてこれを運転し、被告の管理する道路である大阪府道高槻亀岡線(通称亀岡街道)を亀岡市方向に向けて進行し、高槻市大字原の不二ケ原橋(芥川上流に架橋)先の路上にさしかかつた際、さきの大雨により同所道路の谷側の路肩の一部が崩壊しその修復工事が施工中の個所から人車もろとも芥川に転落したため、同訴外人が即死し、同原告が負傷したことについては当事者間に争いがなく、右貨物自動車が大破したことは成立に争いのない乙第二号証および原告田尻三郎本人尋問の結果によつてこれを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

二、そこで、右事故(以下本件事故という)が被告の道路管理の瑕疵によつて生じたものであるかどうかについて検討する。

(一)  まず、本件事故の直接の原因についてみるに、成立に争いのない乙第三ないし六号証、第八号証ならびに証人阪口茂、同谷山茂の各証言、原告田尻三郎本人尋問の結果によると、右転落した貨物自動車に乗車していた者は、いずれも車が道路より転落する直前の模様について「車体の後の方が急に下がり、そのまま後の方から下へ落ちた。」旨の印象を持つている事実が認められ、他方、成立に争いのない乙第二号証ならびに証人谷山茂の証言、検証および原告田尻三郎本人尋問の各結果を総合すると、本件事故現場付近では、道路は芥川の北岸をなし、右事故現場から一四、五メートル西で流れに直交して架橋されている不二ケ原橋のたもとに至るため、高槻市方面から亀岡市方面に向い右事故現場を通過しようとすると、右不二ケ原橋を南から北へ渡り終えてから右事故現場に至るまでの間において、橋のたもとから芥川に沿い曲折して東方に通じている道路に従い、車首を北向きから東向きに転ずる必要上右橋のたもとでハンドルを右に切りつゝ進行し、車を東向きにし終えるやハンドルを左に切りかえして前後車輪とも直進する態勢にもどす操作をするものであることが認められ、以上の認定に反する証拠はない。また、本件貨物自動車の轍路については、前輪では一・五三一メートル、後輪では内側において一・四二五メートル、外側において一・九三三メートルであつたことについては当事者間に争いがない。右の各事実に基いて考えると、本件貨物自動車が路面から転落するに際してはまず車体の後部から落下したこと、換言すれば前記認定の現場の位置関係の下においては、車の右側後車輪が路面の支えを失つたことによつて転落したものと認むべきことについては、ほとんど疑いを容れる余地のないものというべく、また前記認定の本件事故現場に至るまでの運転次第から推して、橋のたもとから一四・五メートルに離れた右事故現場を通過する際、前輪の轍距よりも長い後輪だけであれば格別、それよりも短い内輪を有する後輪全体(右後輪が二重輪となつていることは、成立に争いのない乙第二号証によつて明らかである。)が、前輪よりさらに右に寄つた谷側を通過するという状況は考えられないところであるから、前記認定のとおり右側後輪が路面の支えを失つたということは、とりもなおさず路面が前輪の通過後後輪の通過前あるいは通過時に突如崩落したことを物語るものといわなければならない。すなわち、本件事故は、車輪が路面を踏み外したことによるものではなく、路肩が崩れ、輪下の路面が崩落したことによるものであることが明らかである。

(二)  ところで、前顕乙第二、第四、第六号証ならびに検証の結果を総合すると、本件事故現場は、右事故発生の約一カ月前の大雨により生じた前記不二ケ原橋の東側欄干を北へ延長した線を基準として、東へ約一四メートル隔てた谷側路肩部分から始まる東へ約八メートルの長さ、最大巾一メートルの路面の損壊個所であるが、右損壊発生後同損壊個所について格別の補強工事を施すことなく、従前どおり、大型自動車を含む人車の同所道路の通行が許されていたにもかかわらず、右損壊部分がとくに拡大した様子のないことが明らかであり(右認定に反する原告田尻三郎本人尋問の結果は措信しない。)、この事実から推して本件事故現場の道路は、被告代理人主張のとおり、地盤のかなり強固なところにあつたものと認めることができる。しかしながら、右道路の路肩の一部が現に降雨により損壊しているのであり、右損壊部分は月余の間風雨にさらされたままの状態で放置されているのであるから、如何に地盤が強固であり、地盤を弱化ならしめる人為的な所作が加えられなくとも、右崩壊部分に接続する路面は、ある程度の巾において地盤がゆるんで脆弱となることは自然の勢であり、また証人軽野常吉の証言及び原告田尻三郎本人の供述によつて認められる如く、材木等を積載した重量車輛の往来もかなりあるところであるから、その重量によつて脆弱化することも当然考えられるところであるし、さらに後記認定の如く、右損壊個所については当時崖下から路面に向つて修復工事が進められており、そのため土砂のずり落ち等による地盤の脆弱化も予想せられるのである。とくに損壊個所は路面に近い上部よりも、崖下の下部の方が大きく崩壊していたものであることは、後記検乙第一号証、同乙第二号証、証人軽野常吉の証言によつて窺われるのであるから、路面に外見上亀裂その他崩壊しそうな徴候が現われていなくても、路肩の脆弱化が極度に進んでいて、重量の大きい車等がその上を通過することにより、路面が突如崩落して不測の事態を惹き起す危険性は多分にあるものといわなければならないのである。そうであるから、右道路の管理に当たる被告としては、かかる危険性の認められる路面の部位を測定し、これを同所を通行する人車に知らせる措置を講じなければならないことはいうまでもないが、とくに本件事故現場となつた右路肩の損壊個所が前記認定のような位置関係にあつて、亀岡市方向に向う車がその直前の橋のたもとにおける急カーブを通過した直後に直面する場所となつており、右カーブを通過した車の態勢上、いきおい右路肩の損壊個所に近接して同所道路を通過することになりがちであること、そして車が貨物自動車のような大型のものである場合には、右損壊個所を回避して同所を通過するためには、とくに、慎重な操縦操作を必要とすることは、原告田尻三郎本人尋問の結果をまつまでもなく経験則に照らして明らかであり、現に不二ケ原橋北端の欄干等が自動車の接触により相当破損していたことは証人谷山茂、同田尻吉蔵の各証言及び原告田尻三郎本人の供述によつて窺われるのであるから、右道路の管理者たる被告としては、前記路面の危険個所を同所を通行の人車に知らせるに当つても、単に危険個所の存在を知らせるだけでは不十分であり、同所を通過する自動車の運転手に高度の注意を促がし、その運転手をして自動車操縦上の正確な判断を可能ならしめるため、右道路の危険個所の存在と併せて、その範囲(損壊箇所のみでなく周辺の地盤の脆弱化をも考慮して危険範囲を定めるべきである)をも、明瞭に知らせる措置(少くとも棒杭を打ち危険範囲を繩張りでかこむことは必要である。)を講じなければならない。

この点につき、原告ら代理人は、本件事故現場には、何らの危険標識その他の事故防止措置が講じられていなかつたと主張するのに対し、被告代理人は、右路肩の損壊個所に沿う路面に棒杭を立て、その間に繩張りを施すとともに、繩張りの下に約一メートルの間隔で間知石を並列することによつて危険標識とした旨主張し、証人谷山茂、同田尻吉蔵、同谷山一雄の各証言なとびに原告田尻三郎および同谷山清各本人尋問の結果では右原告ら代理人主張の事実に、証人檀一郎、同軽野常吉、同金田種太郎の各証言では右被告代理人主張の事実にそれぞれ見合う趣旨の内容が述べられている。ところで、右路肩の損壊個所に危険標準の設置その他の事故防止措置が講ぜられていたかどうかの点およびその内容程度如何の点は、一人の死者と一〇指に近い重軽傷者を出した本件事故の当面の責任者として業務上過失致死傷事件の被疑者となつた原告田尻三郎の刑事責任を判定するうえにおいて、かなり重要な事項であるから、右被疑事件においても、この点の捜査は尽されたものと考えられるのであるが、右事件の捜査記録の一部である成立に争いのない乙第二ないし八号証を検討しても、被告の主張するような事故防止措置が講ぜられていたことを認めた記載はなく、却つて、右事件において捜査官が作成した本件事故現場の実況見分調書である前顕乙第二号証には、右路肩の損壊個所について、「何らの措置も講ぜられていない。」旨の記載があり、本件事故後数時間内に撮影した本件事故現場の写真と認められる同号証に添付の各写真をみても被告が主張するような事故防止措置が本件事故発生当時、事故現場に施されていたことを示す形跡はないのであり、また、同事件の参考人阪口茂の供述調書である前顕乙第三号証によると、本件事故で転落した貨物自動車に同乗していた同人は、本件事故の原因について、「道路が破損しておりますので、杭か何かで廻りでもしてあれば良かつたと思います。」旨供述しているのであつて、これらの事実に照らして考えると、本件事故発生当時、事故現場には何らの事故防止措置が講じられていなかつた旨をいう前掲証人谷山茂、同田尻吉蔵、同谷山一雄の各証言ならびに原告田尻三郎および同谷山清各本人尋問の結果は、いずれも十分信用できるものと認められ、他方、これに反する証人檀一郎、同軽野常吉、同金田種太郎の各証言は、いずれも措信しがたいものといわなければならない。

もつとも、証人檀一郎の証言および同証言により同人が本件事故発生の当日の午前九時過ぎ頃撮影した本件事故現場の写真であると認められる検乙第三号証によると、本件事故発生の二時間後の事故現場の路面には、前記路面の損壊個所に沿い、五個前後の並大の間知石の存在していたことが認められる。しかしながら、本件事故発生当時にも、間知石が右の状態もしくはこれに近い状態で存在していたものと認めるに足る確認はない。すなわち、前顕乙第二号証(とくに添付の写真)、同検乙第三号証および証人檀一郎の証言により同人が本件事故発生当日の午後三時頃撮影した本件事故現場の写真であると認められる検乙第一号証を彼此対照して検討すると、本件事故当日の午前九時過ぎ頃事故現場の路面に存在していた前記認定の間知石の殆んどは、その後の数時間内に同所路面からなくなつているばかりではなく、その間に右路面上の積載物は二転、三転して変化していることが認められるのであるが、前顕乙第二ないし五号証および同検乙第三号証によると、本件事故による多数の負傷者は、当日の午前九時以前に、右損壊個所を伝つて脱出しないし救出されたものであることが認められるから、同所路面上の積載物の模様は、右午前九時以後よりはそれ以前の段階でより著しく変転しているものと考えなければならない。加うるに、本件事故のような大事故が発生し、従前の路肩の損壊個所がさらに拡がつて、同所道路の通行が一段と困難なものとなつたことは、前記認定の事実関係から明らかであるが、このような場合、右事故発生直後何者かが右路面の応急の危険標識として、付近にある間知石を利用し、これを前顕検乙第三号証の写真にあるような状態で路面に並べることも十分予想されるところである(むしろ、右検乙第三号証の間知石の並べ方があまりに整然としている点よりすれば、事故後並べられた蓋然性は強い。)から、右写真撮影当時、同所路面に間知石が認められたからといつて、本件事故当時にも同様間知石が存在していたものと推測することは困難である。この点に関し、前顕乙第五号証によると、本件貨物自動車の荷台後方に乗車していた訴外中川一雄は、前記被疑事件の参考人として捜査官に対し、車の転落直前の模様につき「自動車の私の乗つているあたりがこのこわれた道の手前に来た頃、自動車が何か石の上にあがつたような気がしました。」旨述べているのであるが、同訴外人以外の本件貨物自動車の同乗者で右と同内容の事情を述べている者がないことは、前顕乙第三、四号証、同第六ないし八号証ならびに証人阪口茂、同谷山茂の各証言、原告田尻三郎、同谷山清各本人尋問の結果によつて明らかであるから、本件事故の直前、かりに右貨物自動車の車輪が石に乗り上げた事実があつたとしても、これによる車体の振動等は、同乗者の殆んどに意識されずに過された程度のもの、したがつて右の石は、間知石のような大ぶりな石ではなかつたものと推認されるから、右乙第五号証の記載をもつて、前記認定に反する証拠ということはできない。また、証人檀一郎の証言により同人が昭和二七年七月中旬撮影した本件事故現場と同一個所の写真であると認められる検乙第二号証によると、前記路肩の損壊個所の西寄りの路傍に長さ約一、五〇メートルの白標が一本立てられていたことが認められるけれども、これが、前記路面の危険標識と何らの関係のないものであることは、証人田尻吉蔵の証言によつて明らかであるから、右検乙第二号証もまた前記認定に反する証拠ということはできず、他にも右認定に反する証拠はない。

結局被告は、その管理する事件府道の崩落の危険性ある路面個所を明示し、災害を防止するに必要な措置は何ら講じていなかつたものといわなければならない。したがつて、この点は、道路を常時良好な状態に保つよう維持修繕してもつて一般交通に支障を及ぼさないよう努めなければならない道路管理者たる被告の管理行為に瑕疵があつたものというべきこともちろんである。

(三)  念のため、付言すると、原告らは、このほか被告の前記路肩の損壊個所修復工事の遅延をもつて、本件道路管理の瑕疵として主張しているけれども、前顕検乙第三号証ならびに証人金田種太郎の証言および検証の結果を総合すると、右路肩の損壊を招来した大雨により被告が管理する他の道路の多数個所にも被害が生じ、被告は当時その復旧工事に従事していたことおよび本件道路の損壊個所の復旧工事は災害後約一カ月の本件事故発生当時右工事の主要部分である石積み工事の大半を完了する域にあつたことが認められるから、右修復工事がとくに遅延していたものということは当らないし、道路の復旧工事が災害個所の多数、予算関係より重点的に進められ、本件損壊個所について、右認定のような進行状況にあつたからといつて、それが直ちに道路管理上の瑕疵にあたるものとはいい難い。しかのみならず本件においては、右修復工事完了までの間、被告が前判示のとおりの事故防止措置を講じておきさえすれば、本件の如き転落事故の発生を防止できるのが通常であると考えられるから、修復工事の遅延と本件事故発生との間に直接の因果関係(相当因果関係)を欠くものというべきであつて、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

また原告らは、工事作業員が右道路の修復工事を実施するにあたり、本件事故現場の路面下の土砂をかき出し、そのため路面の下がえぐりとられて崩落しやすい状態にあつたのを放置していた点にも、被告に道路管理の瑕疵があると主張し、証人谷山茂、同田尻吉蔵、同谷山一雄、ならびに原告本人田尻三郎、同谷山清は、いずれも右主張事実に副う趣旨の供述をしているけれども、他方証人檀一郎、同軽野常吉、同金田種太郎はこれを否定し、石積みの裏詰めに使う土は工事現場の東方川の上手にある突州(砂州)から運んで来たと供述しておるのであつて、さらに右証人らが供述する如く、裏詰に使用する土を工事現場路面下の崩壊箇所のみより採取するときは、さらに路面の崩壊を招き極めて危険であることは、何人にも明らかであるし、またその採取した跡を他所から運んで来た土で埋めなければならない手間が要ることよりすれば、かような危険なしかも二重手間的な作業が全般的になされたものとは容易に考えられない。しかし検証の結果ならびに証人田尻吉蔵の証言、原告田尻三郎本人の供述によつて窺われる如く、川の突州から工事現場への土砂の運搬は不便であるし、また他人の工作物が突州附近にあつて自由自在な土砂の採取は遠慮される情況にあること、右金田、田尻両証人の証言によつて認めうる如く、工事現場の山土の方が砂州の土砂より裏詰めに適していること、その他弁論の全趣旨よりして、裏詰用に使用した土は突州の土砂のほか工事現場の崩壊箇所の山土もいくぶんはあつたのではないかと思われる。もつともこのため路面下の土がえぐり取られて空洞様になる程多量に使用されたとは考えられないが、このことは工事作業員が資材の運搬等のため崖の傾斜面を上り、下りすることによつて生ずる土砂のずり落ち等、工事施工による影響と相俟つて、路面下地盤の脆弱化を強めたものといえないことはない。しかしこれらは崩壊道路の修復工事に伴う現場の危険性の域を多く出ないのであつて、このことだけを捉えて道路管理上の瑕疵というよりは、むしろ前説示のような完全な危険標識を設けなかつたという管理上の瑕疵に包摂されるものと考えるのが相当であるから、この点に関する原告らの主張も亦採用できない。

(四)  結局、被告の道路管理の瑕疵は、前記(二)に認定したところに帰するのであるが、右瑕疵があつたため、後記(五)に認定のとおり、原告田尻三郎は、路面の端近くまで地盤が強固なものと判断して道路の右側(谷側寄り)を通行しようとしたところ、同所の地盤がゆるんでいたため、路面が崩落し、本件事故が発生したものであるから、右は被告の道路管理の瑕疵に基くものというべきである。

被告は、右道路の損壊箇所については、原告田尻三郎は常に同所を往来して熟知しているのであるから、本件事故の発生は、完全な危険標識の存否とは無関係であり、専ら同原告の運転上の過失に基因するものであるとし、道路管理上の瑕疵と事故発生との間に相当因果関係を欠くかのように主張するのであるが、自動車運転手が平素行きなれた道路であるため、その崩壊箇所を熟知していても、そこに前説示の如く、人目をひく完全な危険標識があつて、危険区域が明瞭に示されている場合とそうでない場合とによつて注意喚起の程度、危険区域判定の容易さは自ら異るものがあるというべく、完完な危険標識があれば、そうでないときよりも危険感、注意力が強く作用し、明示された安全区域への回避は容易であるのに対し、危険標識がないが、あつても不完全であれば、危険感、注意力の働く度合は緩漫薄弱となるし(そのうえ、危険な箇所もなれるにつれて注意力が散漫となることも考慮されねばならないであろう。)、かつ危険区域の目測も容易でないところから、つい自動車を損壊箇所に乗入れ、あるいは損壊箇所に接近し過ぎて、地盤脆弱による崩壊を招き、転落事故を惹き起すおそれがあるのであるから、右のような完全な危険標識を設置しなかつたという被告の道路管理上の瑕疵と本件転落事故の発生、その損害との間に相当因果関係の存することはいうまでもないところである。況んや本件の事故は原告田尻三郎が自動車を道路損壊箇所に乗入れたものではなく、周辺の地盤脆弱な箇所に接近し過ぎたがため、その部分の崩壊を来したことに因るものであること前認定のとおりであつて、かつ本件道路巾よりみて、同原告運転の車輛が損壊部分を大きく遠廻りして避けるだけの余裕はなく、損壊箇所及び周辺の脆弱路肩を避けるだけでも相当窮屈である点(この点は前顕乙第二号証及び検証の結果に照して自ら明らかである。)よりして、損壊箇所と周辺の地盤脆弱部分を明示する危険標識の存置されていなかつたことが、本件事故発生の原因であることは、とうてい否定し難い。従つて、本件事故発生の原因を専ら同原告の車輛運転上の過失にのみ帰せしめんとする被告の主張はとうてい採用し難いところである。

(五)  しかしながら他方、本件事故については、原告田尻三郎においても過失があつたものといわなければならない。けだし、前認定の如く、同原告の運転する貨物自動車の通過により崩落した路面の個所が前記の従来損壊していた路面の右側路肩部分であることすなわち同原告が同所路面の右端近くを通過しようとしたため、右路面部分の崩落に際会したものであるところ、同原告が本件事故発生前毎日のように本件被害の貨物自動車を運転して、本件事故現場を往復し、右事故現物における路面の損壊の事実を知つていた(この点については、当事者間に争いがない。)のであるから、たとえ、同原告が地元の者で同所道路の地盤が強固なものであることを知悉していたとしても、右損壊部分の補強のなされないまま、すでに一カ月以上推移しているのであるから、ある程度の負荷がかかることにより、同所部分でさらに路面が崩落する危険のあることは、同原告において予想するにさして困難な事項とは考えられないところ、本件貨物自動車を運転する同原告としては、右路面の損壊個所を通過する際、努めて右側(谷側)に寄ることを避け、山際寄りに通行するよう心掛けるべきであつたと考えられるのに、この点を怠り、ために本件事故の発生をみたものと認められるからである。もつとも、原告ら代理人は、前記不二ケ原橋のたもとから、右道路の損壊個所にいたるまでの間の道路の山際に、前記道路修復工事材料が雑然と放置されていたため、当時山際寄りに通行することは極めて困難であつた旨主張するけれども、本件事故発生まで、原告田尻三郎の運転する貨物自動車は勿論、その他のトラツク、バス等が、日に何台となく無事通過していたところであることは弁論の全趣旨に照して明らかであり、また前顕乙第二、六、八号証、同検乙第一号証を総合すると、本件事故当時、事故現場の路面には、同原告の通過しようとした位置よりもなお若干山際寄りに通行しうる余地のあつたことが認められるから、同原告のとつた当時の速度である毎時一五キロメートル(この点については、当事者間に争いがない。)を下廻る速度をとりさえすれば、本件事故当時よりもさらに左側(山際寄り)の路面を通過できることは、経験則上明らかであり、現に証人田尻吉蔵の証言によつて明らかな如く、本件事故発生後も、バス、トラツクの平常運転に支障はなかつたのである。したがつて、かかる減速の措置をとつて道路の山際寄りを進行することなく、前記右側路面の損壊個所に近接したところを通過しようとした同原告にも本件事故の発生につき過失があつたことを否定することはできないのでおる。

また、訴外谷山正一が本件事故によつて死亡したことは冒頭認定のとおりであり、同人は本件貨物自動車の路面からの転落のさい、荷台から放り出され、がけと車体にはさまれて、死亡したものであることは、前顕第二ないし五号証によつて明らかであるところ、被告は、この結果の発生は、同訴外人が乗員の保護設備のない貨物自動車の荷台にみずから危険を冒して乗り込んだ過失に基因するものであると主張するのであるが、同訴外人が右貨物自動車の荷台に乗込んだこととその死亡との間には具体的な相当因果関係があるものとは考え難いから、この点に関する被告の主張は採用し難い。

三、そうすると、被告の右道路管理の瑕疵に基く本件事故により原告らの蒙つた損害賠償請求のうち、原告田尻三郎に関する部分については、同原告の過失が損害賠償額につき斟酌されることのあることは格別、右過失が道路管理の瑕疵に基因する本件事故発生の因果関係を遮断するに足るものでないのは勿論、右過失あることを理由にして被告の営造物管理者としての責任を免れしめることができないのはいうまでもない。

四、よつて、以下右損害額について検討する。

(一)  原告田尻三郎関係 原告田尻三郎本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証によると、原告田尻三郎は、本件事故により路面から河床に転落して大破した貨物自動車の車体にはさまり、背髄損傷の傷害を受け、(1) 両下肢施緩性麻痺と両下肢自動運動不能のため両下肢の機能は失われ、歩行はもとより不能であり、起座の動作も他人の介添えなしにはできない状態の運動障害(2) 腰廻りに知覚鈍変ないし消失の、その上部位に知覚過敏の知覚障害(3) 膀胱が無緊張性膀胱で容量約〇・三リツトルとなり、膀胱訓練の結果腹圧により排水が可能となつているが、尿意、便意ともなく常に便秘しがちの状態で、浣腸またはかき出しの手段により排便を行わざるをえない状態の機能障害を生じ、そのうち運動障害、知覚障害については回復の見込みのないことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。しかして、

(有形的損害)証人田尻吉蔵の証言および原告田尻三郎本人尋問の結果ならびに右証言と本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし三〇、同第三号証の一、同第四号証の一ないし五を総合すると、同原告は本件事故により負傷した昭和二七年八月四日から同三三年八月三〇日までの間高槻医科大学付属病院、行岡外科病院、大阪市立医科大学病院に順次入院して治療を受け、この七三ケ月間に毎月少くとも二万円を下らない額の入院治療費、付添人手当およびその食費として合計一四六万円の支出を余儀なくされたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

つぎに成立に争いのない乙第七号証(原告田尻三郎の警察における供述調書)によると、原告は、本件事故当時貨物自動車の運転手として稼働し、毎月一万円程度の収入を得ていたことが認められる。もつとも、証人田尻吉蔵および原告田尻三郎は、当時同原告が貨物自動車による材木運送の請負ないし材木の山出し転売に従事し、毎月三万円を下らない額の収入を得ていた旨証言ないし供述するけれども、成立に争いのない乙第七号証によつて認められるとおり、同原告は、昭和二七年二月普通自動車の運転免許を受けて原山林組合の自動車運転手となり、材木の運搬に従事していた者で、当時二三才の若年であつたのであるから、同原告が果して材木運搬の請負ないし材木の転売の営業をきりもりして、月収三万円の利益を収めていたかどうかの点が疑問であり、またこの点につき前記証人田尻吉蔵の証言と原告田尻三郎本人の供述とは仕事の内容や水揚げ金額の点では喰違つているのであつて、前記証人田尻吉蔵の証言と同原告本人尋問の結果だけによつては同原告の収入を月収三万円と認めることは困難であり、他に前認定を覆し、右収入額を肯定せしめるに足る証拠がない。しかして、同原告本人尋問の結果によると、同原告が当時二三才の普通以上の健康体を有するものであつたことが認められるところ、この年令の男子の平均余命が三二年を上廻るものであることは当裁判所に顕著なところである。そして右のとおり普通以上の健康体を有する同原告が右平均余命内の五五才に達するまでの三二年間本件事故当時と同程度の労務ないし営業に従事することができ、それによつてその際受ける純収入の額が右認定額を下廻らないであろうことは、一般経験則と当裁判所に顕著な現今の社会、経済事情に照らして、容易に推認することができる。そうすると、前記認定の負傷によりその労働能力の全てを失つた同原告は将来少くとも三二年間に得べかりし利得合計三八四万円を喪失したことになるが、同原告は、これを一時に請求しているから、右金額についてホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して、本件事故当時における一時払額に換算すると二二九万一五三円五〇銭となる。

また、本件事故により前記認定のとおり大破した原告所有の貨物自動車は、その修理費に一八万八〇六〇円を要したこと、証人田尻吉蔵の証言により真正に成立したものと認められる甲第五号証によつて認められ、他に右認定に反する証拠はない。

以上の有形的損害の合計額は、三九三万八二一三円五〇銭になるが、前記認定のとおり、本件事故の発生については、同原告にも過失があつたことを考慮し、右損害額の二分の一にあたる一九六万九〇六円七五銭を控除した残額一九六万九一〇六円七五銭をもつて、被告が同原告に支払うベき有形的損害の賠償額と定めるのが相当である。

(無形的損害)同原告は、前記認定の重傷を受け、その傷自体による苦痛はもとより、当時二三才の前途ある身でありながら、身体的には廃人同様となり、将来とも他人から身の廻りの世話を受けなければ生活できないという悲惨な境遇に陥つたものであるから、同原告の受けた精神的苦痛は、筆舌に尽しがたいものがあると考えられ、したがつてまた如何なる金額をもつてしてもその苦痛を慰藉しうべくもないのであるが、なお、前判示のとおりの右負傷にいたるまでの経緯に認められる双方の落度と本件口頭弁論に現われた諸般の事情を考慮し、被告から同原告に対して支払うべき慰藉料は一〇〇万円をもつて相当と認める。

(二)  原告谷山万次郎関係 同原告が本件事故で死亡した訴外谷山正一の父親であることについては当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第六号証の一、二ならびに証人谷山一雄の証言および原告谷山清本人尋問の結果を総合すると、原告谷山万次郎は明治二三年生れの老体で体が不自由で十分な仕事が出来ないため、長男の同訴外人(大正五年生れ)とともに居住し、同訴外人を一家の支柱とたのみ、その収入によつて扶養されていたものであることが認められるから、同訴外人の不慮の死に遭遇し、高度の精神的苦痛を受けたことは想像にあまりあるところであるうえに、現在に至るも被告は格別の慰藉の方法をとつていないこと、その他本件口頭弁論に現われた諸般の事情を考慮し、被告から同原告に対して支払うべき慰藉料は三〇万円をもつて相当と認める。

(三)  谷山清関係 同被告が訴外谷山正一の弟であることについては当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第六号証の一、二ならびに証人谷山一雄、同谷山茂の各証言ならびに原告谷山清本人尋問の結果を総合すると、訴外谷山正一の死亡当時同訴外人には遺児として長女谷山貴代子(八才)、次女谷山朱実(六才)の二名があつたが、その生母はその以前すでに右正一と離婚している上、後日死亡しており、また後妻の谷山ツギは、正一の死亡後、他に嫁していて、父親のもとに残された右遺児両名と母方の祖父母との交渉も、右離婚のときから絶えている事情にあり、また右遺児両名と同居してきた父方の祖父である原告谷山萬次郎は、前記認定のとおり同原告自身が他に扶養される立場にあつたため、訴外谷山正一に代わり祖父の住居に留つて家業を継ぐこととなつた原告谷山清がやむなく同居のめいの関係にあたる右遺児両名の生活および教育の責任を引き受け、本件事故発生後訴外谷山貴代子については昭和三七年三月末同訴外人が高等学校を卒業するまでの九年八月の間、同谷山朱実については同三六年三月末同訴外人が中学校を卒業するまでの八年八月の間、いずれも右遺児両名の生活費および教育費として一人あたり毎月平均五〇〇〇円を下らない額を支出し、合計一一〇万円を下らない額の出捐を余儀なくさせられたものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

ところで、被告は、原告谷山清の右出捐と本件事故との間には因果関係がないと主張するけれども、右認定のとおり、同原告の右出捐は、訴外谷山正一が本件事故で死亡したことにより扶養者を失つた同訴外人の前記遺児両名の生活費および教育費にあてるためなされたものであるから、これが本件事故と相当因果関係のあるものであることは明らかである。ただ、同原告は、前記認定のとおり、訴外谷山正一の右遺児両名のおじとして三親等の親族であるにすぎず、同原告本人尋問の結果によつて認められるとおり、家庭裁判所の審判により右遺児両名の扶養義務を負わせられているものではないのであるから、同原告の右出捐をもつて、本件事故により同原告が蒙つた損害として評価できるかどうかの点に若干問題があり、被告の右主張の真意もおそらくはこの点を指摘するところにあると考えられる。しかしながら、他人の不法行為により要扶養状態に陥つた者に対し、その者の扶養義務者が扶養義務の履行として出捐行為をした場合、その出捐をもつて右不法行為により扶養義務者が蒙つた損害と評価しうるゆえんのものは、扶養義務者の右出捐が不法行為によつて余儀なくされた必然的なものとして、相当の因果関係を認めうるとともに、被害者に対しその償還を求めることができない関係から、損害といいうる点にあるものと考えられるところ、本件においては、原告谷山清は、家庭裁判所の扶養の審判がないため右遺児両名に対し扶養義務を負担する者ではないといつても、前記認定の事情に徴して明らかなとおり、民法八七七条一項により右遺児両名を扶養すべき義務を負う同人らの祖父母に対して右義務の履行を求めることが困難な状況にあつたものであり、家庭裁判所が同条二項にいう特別の事情があるとして審判により右遺児両名の扶養義務者を定める段になれば、前記認定の事情にある同原告は、右審判による扶養義務を免れることのできない立場にあつたものというべきであるのみならず、同原告は、同法七三〇条に定める同居の親族として、右遺児両名を扶けなければならない義務を負担する者であつてみれば、右遺児の養育、教育を放置しておくわけにゆかないのは当然であるから、同原告が右遺児両名の生活費および教育費としてなした前記認定の出捐は、訴外谷山正一の事故死によつて余儀なくされた必然的なものであり、かつ同原告においてその返還を期待しうる性質のものとはいい難いのである。したがつて同原告の右遺児に対する扶養義務につき、その履行請求が問題となる場合は格別、すでになされた過去の右出捐については、たとえ家庭裁判所による扶養義務の設定がなくても、損害賠償の範囲判定の上では、あたかも扶養義務者が扶養義務の履行としてなした出捐と同視し、これを本件事故により、同原告が蒙つた損害として評価しうるものといわなければならない。

五、結局、被告は、原告田尻三郎に対してはその有形的損害一九六万九一〇六円七五銭およびその無形的損害一〇〇万円を、同谷山萬次郎に対しては、その無形的損害三〇万円を、同谷山清に対しては、その有形的損害一一〇万円をそれぞれ賠償すべき義務があるから、原告田尻三郎の右有形的損害のうち一七六万八六六〇円および右無形的損害のうち二〇万円の、同谷山萬次郎の右無形的損害三〇万円の、同谷山清の右有形的損害のうち八〇万円の各賠償を求める本訴請求は、いずれもこれを正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 井上清 小田健司)

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